
こんばんは、サカイヨーキです。
当ブログでは、最近話題の「親ガチャ」の意味、分類や派生パターンなどについて書いてきました。
しかし、「子ガチャ」という言葉はその存在を知りつつ、あえて挙げませんでした。
なぜなら、親ガチャの延長線上の意味で子ガチャは使うべきではないと考えているからです。
なので、その理由について解説していきますね。
とはいえ、子どもがどんな人間でも親が悪い!というわけではありません。
誰が悪い!という内容でもないので、順を追って説明していきたいと思います。
最後まで読めば、親ガチャと子ガチャは意味が全然違うことがわかりますよ。
- 「親ガチャ」と「子ガチャ」は同列には存在しない理由
- あるのは子ガチャではなく別のガチャ
- 人生は選択×行動×環境
「親ガチャ」と「子ガチャ」は同じ定義にはできない

まず、前回、前々回と同じくWeblioの「親ガチャ」の言葉の意味をみてみましょう。
親ガチャ(読み方=おやガチャ)
https://www.weblio.jp/content/%E8%A6%AA%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A3
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方。

つまり、自分で親を選べないという運任せの境遇を「ガチャ」にたとえているわけですね。
「子ガチャ」の定義とは?
なお、Weblioは「子ガチャ」についても書いていましたので、そちらも見てみます。
親ガチャとは逆に、親の立場から「どんな子が生まれてくるかは任意で選択できない」状況を表現する言い方を、「子ガチャ」と表現する場合がある。子ガチャの方が親ガチャよりもソーシャルゲームのガチャに近い構図といえる。
https://www.weblio.jp/content/%E8%A6%AA%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A3
これはつまり、母親が複数人の子どもを産んだとして、「たくさん産んだからどの子かは当たるでしょ」という考え方です。

自分の意思では引けない親ガチャと違い、自分の意思で複数回引けるため、より感覚が「ガチャ」に近いというわけですね。
「子ガチャ」を子どもに伝える親がいたらそれこそショック
以前に「親ガチャなんて言われたら親はショック」という意見を紹介しましたが、子ガチャの「どれか当たるでしょ」も残酷に感じますね。
ですが、確率論の観点でみるならこの考え方もうなずけます。
現代の日本ではあまりない不安ですが、子どもが多いほど誰かが生き残り、子孫繁栄のかく率が高まりますからね。
ですが、今の日本では幸いなことに疫病や貧困、戦争で死ぬ子どもはそういません。
なので、親は不妊や望まない妊娠を除き、子どもを産む・産まない、何人産むといった選択権があります。
また、脳科学的に見ても、子が親に与える影響より、親が子に教育方針や倫理観を教える影響のほうが圧倒的に強いわけです。
その状況差で、子どもの見た目やステータスを兄弟や他の子と比較し「ガチャがハズレたわ」というのは、さすがに無責任ではないかなと。

子どもの出来をガチャで例えるのは、親ガチャの選べない悔しさと反対に、本当のゲームのような軽さを感じませんか?
「子ガチャ」はないが、他のガチャを外した可能性はある

とはいえ、親の意思で子を産む選択をして、愛情たっぷりで懸命に育てても、子が真っ直ぐ無事に育つとは限りません。
なぜなら、子ガチャじゃない別のガチャを外す可能性はあるからです。
他のガチャ①家族ガチャ
この場合の家族とは、あなたが父親だとしたら母親(つまり妻)、祖父母、兄弟など別の家族を指します。
実際には祖父母を除く家族には影響を与えられる以上、ガチャとは多少言いづらい点はあります。
ですが、家族や兄弟同士の不仲、特定の兄弟のひいきなどは人格形成に大きな影響を与えます。

しかも、家族が増えるほど、家庭内のルールや教育方針を伝えていても制御が困難になるのです。
他のガチャ②協力者ガチャ
家族が多くなるほどまとめるのが大変で、別の家族が悪影響を与えやすい。
ならば一人っ子の場合、鍵っ子の場合などはどうでしょう。
その場合、好意的な協力者がいるかどうかが鍵になります。
たとえば、保育園や幼稚園の先生、親戚、友人、近所の住人、同僚など、協力者や相談相手が一人でもいると助かりますよね。
反対に孤立している場合、「周囲に援助を求められない」「相談できない」などのストレスで、子どもに辛くあたる可能性も出てきます。

片親や鍵っ子などの状況は好きで選んだわけではないでしょうし、イコールお子さんが不幸なわけではないですけどね。
他のガチャ③クラスガチャ
子どもが通う園や学校のクラスメイトは基本的に選べません。
都心であれば幼稚園から受験がありますが、それでも希望の人間関係になるかまではコントロールできません。
もちろん、校風や評判など判断材料はありますが、嫌な人間はどの場所にも一定数はいるものです。
そのため、お子さんがいじめを受ける、反対にいじめや非行に加担する可能性というのはどの学校に行っても考えられます。

なので、その時期までに判断力と勇気を少しでも養う、様子を伺いながら励ますなど手段が限られるんですよね。
他のガチャ④出身地ガチャ
協力者ガチャやクラスガチャに近いですが、住んでいる街の治安に関するガチャです。
一見コントロールできそうにも思えますが、お子さんが犯罪被害にあう可能性は基本的にどこに住んでもゼロにはできません。
偶然近くに犯罪者やその予備軍、悪質な不良グループがいたために被害にあってしまう可能性はどうしても消すことができないのです。
なにしろ、治安の良い閑静な住宅街に住んでいてもひったくりや強盗に入られる可能性はあるので、とにかく備えるしかない。

だからこそ、住む場所は仕事や学校の都合だけでなく、近所づきあいや生活の安全性も考慮して選びたいところですよね。
人生は本人の選択×行動量×周囲の環境である

ちょっと不安にさせる言い方が続きましたが、ご容赦を。
ただ、子ガチャより別の運に気を配ってほしかったのです。
そこで、運=周囲の環境が重要という話を、僕が好きなマンガ「キングダム」からしたいと思います。
キングダムの主人公は、のちに秦の始皇帝を守る大将軍になる少年・信(しん)。
最初はただの奴隷の身であった信が、多くの決断と死闘を重ね、武功を上げて皇帝の右腕に成り上がる姿を描いています。
あるとき、大将軍の夢に向かって走る信に、秦の戦軍に親を含めた自国民10万人を殺された敵将・万極(まんぎょく)が立ちはだかります。
実は万極は自身もそのときに一緒に生き埋めにされ、辛くも生き残った人間。
以降は恨みと復讐に人生を捧げ、将軍となって秦の民間人にも非道な殺戮を繰り返していました。
そんな万極に、自らも大切な存在を失った過去がある信はこう言い放つのです。
俺だって身内を殺された!だがてめぇみてぇにはなってねぇ!
お前にはたまたまそこから引き上げる人間が周りにいなかっただけだ
真理なんかじゃねぇ!たまたま運が悪かっただけだ!
「キングダム27巻」原泰久
万極の運命に同情を示しつつ彼を倒した信は、秦軍による虐殺は自分が繰り返させないと誓うのでした。
人は自分の力だけでは乗り越えられない、それでも全部が運や環境のせいではない。
何を選択し、どれだけ行動し、周囲の環境から何を受け取ったか。

人生はその総和で決まると考えています。
ガチャのハズレは雑魚キャラじゃなくすでに引いたキャラ

今回は、「親ガチャ」はアリだけど「子ガチャ」はナシと思う理由を解説しました。
人生がガチャなら、とにかくアタリに出会うまで引き続けるしかありません。
それが親友か伴侶か上司かわかりませんし、最適な数もよくわかりません。
ですが、そこそこの人たちに囲まれるより、1人の心強い人と出会うほうが運命は変わるはずです。
なるべく多くの人が自分を支えてくれる人に出会い、誰かを支える人にもなれたらいいですね。
まだ出会ってなくても、せめて誰かとかぶらないキャラでいましょう。
ガチャの最大のハズレは、すでに引いたキャラですからね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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